達谷窟 毘沙門堂(びしゃもんどう)
達谷窟の中心をなす「毘沙門堂」。
(達谷窟の全体レポは>>>【岩手】◆達谷窟 - 801年に坂上田村麻呂が毘沙門天をまつったのが始まり)
幾度もの火災を経て、現在のお堂は五代目(昭和36年再建)。
窟に入り込んでいる感じがいいですね。
京都の清水の舞台を模して造ったお堂だそうです。
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(参考)毘沙門堂の縁起
昔、この地では「悪路王(あくろおう)」を筆頭とする悪者グループが、女性や子供をさらったり、乱暴なふるまいをしていたそう。
その噂は桓武天皇の耳にも入り、坂上田村磨が蝦夷征伐を命じられます。
それを知った悪路王たちは達谷巌にこもりましたが、やってきた坂上田村磨たちに敗れました。
坂上田村磨は、「勝てたのは毘沙門天のおかげ」と感じ、お堂を建て、108体の毘沙門天を祀ったのが、達谷窟毘沙門堂の始まり。
(関連:【仏像の知識】毘沙門天とは? - 財宝・福徳・戦いの神)
拝観レポート
オリエンタルな狛犬
毘沙門堂に至る階段の入り口にいました。
両者、向き合っています。
それぞれを拡大してみると…
なかなかのカーリーヘア。
学校の音楽室に貼ってあるような、偉大な音楽家たちのカツラを彷彿とさせます。
阿形(口を開けているほう)は、横顔がニヤッと笑っているように見えますね。
つづいて正面から。
ニヤッとではなく、威嚇の表情でした。
正面と横顔の印象がけっこう違いますね。
続いて吽形。
影になってしまってわかりづらい部分もありますが、おとなしめの表情。
斜めからも撮ってみました。
どこかおしとやかな雰囲気でかわいい。
毘沙門堂の内部へ
さて、狛犬を愛でた後は毘沙門堂への階段を上っていきます。
お堂内にはたくさんの毘沙門天が安置されていました!
毘沙門堂というくらいなので、当然といえば当然なのですが、毘沙門天ばかり集まっているお堂というのも珍しいですね。
配尊図
(※記憶をたよりに記していますので、曖昧なところがあります。ご参考程度にご覧ください)
ご本尊は吉祥天・善膩子童士(秘仏なのでお姿を直接拝観することはできません。しかも、次の御開帳は令和24年!)。
慈覚大師が彫ったものと伝えられています。
ご本尊の厨子の両側に並ぶのはひたすら毘沙門天!
像高はさほど高くなく、1メートルくらいの印象でした(あくまで遠くから観た感じで、正確な情報ではありません)。
正確な数も不明ですが、十数体?二十体?以上はズラズラと並んでおられました。
パンフレットを読むと、昭和の火災のときに、「御本尊以下廿數躰を救い出した」と書かれているので、そのときに救い出された仏像たちが安置されているのだろうと思います。
さらに、内陣の両側には大きな(像高2メートルくらい?はありそう)二軀の毘沙門天も。武将スタイル(向かって右)と貴人スタイル(向かって左)。
二軀とも華やかなお色味で、比較的新しい仏像かな、という気がしました。
毘沙門天が勢ぞろいしている、というのは珍しいですし、見ごたえがありました。
最強のお札、おみくじも
私が行ったときは、「最強のお札」もこのお堂内で売られていました。
長時間の加持祈祷を経てできた特製のお札です。
お堂内では、セルフサービスといいますか、お金を収め、自分でお札をいただくシステムでした。
(お金払わずに取っていっちゃう人いるんじゃ……と心配しましたが、毘沙門天さんたちの目の前ですから、一般的な感覚の持ち主ならまず不可能ですよね)
それから、おみくじがなんと20円!(※訪問時の情報です)
おみくじ好きにはうれしい(手元に100円玉しかなく、結局100円投入しましたが……おつりは追加のお賽銭ということで)。
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