千手観音の持ちもの
初めて千手観音を拝観したとき、「いろんな持ちもの(※)持っているけど、あれは何ぞや? どういう意味があるんだろう? 何に使うんだろう?」と興味を持ちました。
(※)正式には持物(じもつ)といいます。
本記事では、千手観音の持ちものについて、唐招提寺のお像を例に、一つずつ確認していきたいと思います。
個々の道具に関する詳しい説明は、下のもくじから飛べます。
- 千手観音の持ちもの
- 唐招提寺の千手観音の例
- まとめ
- 参考文献
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唐招提寺の千手観音の例
紹介する順番について
大きく分けまして
① 両手で持っているもの
➁ 右手(内側)
③ 右手(外側)
④ 左手(内側)
⑤ 左手(外側)
という順番で紹介していきます。
※全ての手には番号がついているのですが、そこまで調べきれなかったので、本記事では「下から順」に紹介しています。
どの手にどの道具を持つかは、お像によっても少し異なります。
本記事にて紹介しているのは唐招提寺の千手観音の例となります。
※基本は『仏像の持ち物小辞典』を参考にしていますが、奈良国立博物館にて開催の特別陳列『はっけん!ほとけさまのかたち』会場内の説明パネルを参考に、一部解説を追加しました。該当箇所は青文字にしています。(2022年9月5日更新)
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① 両手で持っているもの
宝鉢(ほうはつ)
→食器の一種、お腹の病気を治す
合掌している手の下、お腹の前あたりに、両手で持っているのが「宝鉢(ほうはつ)」。
鉢(はつ)とは、元々は仏像やお坊さん・尼さんが持つ食器の一種です。
インドでは古くから食器として使われていて、分厚い材料を薄くしてつくったような形。お皿よりも深く、瓶より口が開いたもの。
千手観音が持つ場合は、お腹の病気を治すことを表しています。
➁ 右手(内側)で持っているもの
※「観音像の右手」ですので、「拝観するときは、向かって左」となります。
下のほうの手から→上に向かう、という順で紹介しています。
数珠(じゅず)or 念珠(ねんじゅ)
→慈悲の心が次々と伝わる、さまざまな方向から仏が来て救う
数珠は、比較的身近な仏教法具で、どなたも見たことがあるのではないでしょうか。
本来はお坊さんの持ち物で、仏の名や真言を唱えるとき、その回数を数えるための道具(だから「数える珠」と書く)。
その一方で、
・一つひとつの珠=如来や菩薩(諸尊)
・珠を貫く線=観音菩薩
と例えられる場合もあります。
観音さまの慈悲心が、他の如来や菩薩(=数珠の一つ一つの珠)に次々と伝わり、最終的に阿弥陀如来(※大きい珠が阿弥陀如来に例えられる。なお、阿弥陀如来は観音の別の姿)に還る、という様子を表しているものが数珠、ということですね。
つまり、仏像の持ちものとしての数珠は、慈悲の心が次々と伝わって大きな願いに至るということの表現と考えてよいのかな、と思います。
様々な方向から仏がやってきて救ってくれることの例え、とされることもあります。
青レンゲ(青蓮華=しょうれんげ、青連=しょうれん)
→如来や菩薩の瞳・どんな仏の世界にも生まれ変わることができる
蓮華はいわゆる「ハス」のことで、インド原産の花。
ハスは「聖なる大地やその創造力の象徴の花」といったところでしょうか。
蓮華の開き方にもよっても意味があり、色も四(または五)色あります。
(色ごとの個々の意味づけは明確ではないようですが)
青蓮華は「如来や菩薩の眼」に例えられるという説も。
「如来や菩薩の眼が、優しい心と清らかな知恵によって輝いている」ということを表現しているようです。
また、どんな仏の世界にも生まれ変わることができることを表しています。
錫杖(しゃくじょう)
→どんな人も優しく包み込む
お地蔵さんが持っている姿もよく見かける、錫杖。
錫杖は、単なる杖ではなく、「特殊な神通力を持った武器に近いもの」という位置づけです。
頭が金属製(※)で、環っかがついているので、音が鳴ります。
(※)「錫杖」と書きますが、錫(スズ)製でななく、銅製です。
鳴る音を漢字で記したところ「錫」になったようです。
お坊さんが持つときの具体的な使い方は
・山道を行くとき、音を鳴らして毒虫や獣を追い払う
・(僧たちの)托鉢のとき、音を鳴らすことで、戸を叩いたり声を出さずとも家人の注意をひくことができる
・他家で飼われている牛や犬に襲われるのを防ぐ
たしかに、山道を歩くときは、クマよけの鈴をつけたりしますから、理に適っていますよね。
千手観音像が持つ場合は、どんな人も優しい心で包み込むことを表しています。
五鈷杵(ごこしょ)
→煩悩をはらい困難の多いものごとを成し遂げるためのシンボル
金剛杵(こんごうしょ)のうち、峰のツメが5本あるものが五鈷杵(ごこしょ)。
なお、金剛杵は「仏の知恵はダイヤモンドのように堅固である」ことを表すシンボル。
金剛杵の「金剛」はダイヤモンドによく例えられます。
ダイヤモンドの「光を反射する、何よりも硬い」という性質になぞらえて、「仏の知恵はあらゆる煩悩を砕く、どんな煩悩にも損なわれない」ということを表現しているわけなんですね。
五鈷杵のツメ5本は、五仏・五知を表している、など、いろんな説もあるようですが、修行者が持ち歩く場合は、内面の諸悪を追い払い、自身を浄化するためのもの、という面が強いようです。
すなわち困難なものごとを成し遂げるために助けとなるアイテムですね。
※ 五鈷杵ではなく、「三鈷杵(さんこしょ)」を持つ仏像もあります。
基本的な意味合いとしては五鈷杵と同じと考えてよいかと思います。
③ 右手(外側)が持っているもの
胡瓶(こへい、こびょう)
→人々に配る財宝や秘宝が入っている容器
胡瓶(こびょう)は、財宝や秘薬の容れもの。
水を入れる瓶(水瓶:すいびょう)とは別もので、宝瓶(ほうびょう)の一種です。
財宝や秘薬を入れてあるので、これを持ち歩けば貧しい人々に福徳を配布することができるんですね。
よい人がそばにつく、という効能も。
なぜ「胡瓶」という名称かというと、胡人(西域の民族)のアイデアによってデザインされたものだから。
瓶の先端が、迦楼羅(かるら)という鳥の頭部にかたどられているのが特徴です。
宝鐸(ほうたく)
→仏の声や言葉を聞くことのできる鈴
一般には、宝鐸(ほうたく)は、お堂や塔の四隅の軒などに吊るす、大きな鈴の飾りを指すようです。
「風鐸(ふうたく)」と呼ぶこともあるようなので、風鈴のようなイメージですかね。
その美しい音で聞く人の心を静める風鈴のように、仏の声や言葉を聞くことができるアイテムといったところでしょうか。
鉞斧(えっふ、えっぷ)
→煩悩を断ち切る知恵の斧
鉞斧(えっふ、えっぷ)は煩悩を断ち切る知恵の斧(おの)。
斧といえば、ものを真っ二つに切断する道具ですね。
仏像が持つ場合は、「煩悩にまどう心」をバッサリと断ち切るための武器、仏の知恵の象徴となります。
また、罰を受けない、難を避ける、という意味もあるようです。
蒲桃(ほとう、ぶどう)
→心身健全でいるためのくだもの、実りがゆたかに
ブドウは、神秘的な意味をもつくだものとして尊ばれてきました。
倶縁果(ぐえんか:レモンのような柑橘類)・吉祥果(きちじょうか:ザクロの実)などのくだものと同等と捉えてよいようです。
食べると気力がつき、体力も高まる、的なありがたいくだもの。
災いを避けて、心身とも健全でいるためのくだもの。
また、実りが豊かになることを表しています。
鉄鉤(てっこう)
→龍王が助けにきてくれる
鉤(こう、カギ)とは、金属の先を曲げて、ものをひっかけるような形のアイテム。
千手観音が持つ場合は、龍王が助けにきてくれることを表しているそうです。
宝箭(ほうせん)
→仏の知恵が速やかであることを表すシンボル、良き友人を得られる
箭(せん)とは矢のこと。
左手に持っている弓とセットで、いわゆる「弓矢」の「矢」ですね。
弓矢は「速疾の象徴」となります。
仏の知恵が鋭く・速やかなことを表しているんですね。
「救うのが難しい人々を鋭い仏の知恵によって速やかに救うための目印」と解釈されることもあるようです。
良い友人に早く出会うというご利益もあるのだとか。
宝剣(ほうけん)
→煩悩を滅ぼす知徳の剣
千手観音以外の仏像でも、剣を手にしている姿はよく見かけます。
仏像の持つ剣の意味は、他人を攻撃するためのものではなく、自分自身の内部にある煩悩を滅ぼすためのもの。
宝鏡(ほうきょう)
→真実をうつしだす神聖な宝物、知恵を得る
私たちにとっては身近なアイテムの鏡ですが、昔は神聖な宝物としての位置づけだったようです。
仏教的には、
・人の心の底をうつしだす
・秘密や邪念を明るみに出す
・悪いものの正体を映す
などと言われてきたため、僧はむやみに鏡をのぞいてはならない、とされていたのだとか。
真実を知ることは知恵を得ることでもありますね。
白蓮華(びゃくれんげ)
→さまざまな良いことが成就する
白い蓮華は仏の清浄さ、尊さを表すシンボル。
さまざまなよいことがあることを表しています。
宝経(ほっきょう)
→巻物(or 折りたたみ式)にしたお経、仏の教えを得られる
「経」という文字からもわかるように、宝経は巻物にしたお経(折りたたみ形式のものもあります)。仏の教えが書いてあります。
(千手観音もそうですが)お経を持つ仏像としては、観音像が多いようです。
『観音経』というお経にて、菩薩が人間社会で人間同様に活躍する姿が描かれれるのですが、そのさまが経巻を手にして立つ観音像と一致しているからだそう。
金輪(きんりん)
→悪を破って人々を守護する宝物
仏法を車輪の形で表現した「輪宝(宝輪)」。
このうち、金製のものを「金輪(きんりん、こんりん)」と呼ぶようです。
輪宝の、放射状になったスポークの部分(輻)は様々な本数のものがあり、仏法を表現しています(例:六本→六道、十二本→十二因縁など)。
輪宝は、元々は手裏剣のように投げる武器。そこから派生して「煩悩や悪を打ち破る宝物」とされています。
また、「車輪」ですので、「進みゆくこと」の象徴でもあります。
千手観音がもつ金輪は、こちらの意味合いのほうが大きいという説もあるようです(不退転宝輪:ふたいてんほうりん)。
「仏道に入る者は悟りの心を断じて変えてはならない」という教えがあるそうなのですが、これを”後ろには転がらない”金輪になぞらえているのだとか。
宝印(ほういん)
→権威と責任のしるし
角型のスタンプのような形の宝印。
「佛(仏)」という文字や、仏教の象徴である「卍」が刻まれています。
そもそも印には、自己を明確に表現するもの、自分の権利と義務を明示するもの、という役割がありますから、宝印もまた、「権威を示すもの」「責任のしるし」という意味合いのようです。
月輪(がちりん)
→熱をさます、清らかさを得る
月をかたどった、円形の持ち物、月輪(がちりん、げつりん)。
月は古来より「大地の母」「雨のめぐみをもたらす水の神」と信仰されていたそうです。
雨のめぐみ→身体が熱くなる病を治す、清らかさをもたらす、とされます。
なお、仏像によっては、月輪ではなく、「月精魔尼(げっしょうまに)」という、月をかたどった珠(たま)を持っているケースもあります。
化仏(けぶつ)
→名もなき仏のシンボル
千手観音の手の上にちょこんと乗せられている小さい仏像、化仏(けぶつ)。
○○如来、○○菩薩、といった特定の仏像ではなく、それらに付加された「名を与えられていない仏」のイメージです。
全ての生き物は、”成仏”(=仏に成る)するので、「仏」と考えることもできます。
そのような抽象的概念を表現したものが「化仏」です。
千手観音には2体の化仏。
・いろんな仏がそばにいる
・将来仏になれることを約束
ということを表しています。
④ 左手(内側)が持っているもの
※「観音像の左手」ですので、「拝観するときは、向かって右」となります。
玉環(ぎょくかん)
→どんな人も従う
「環」とは囲い、円のこと。広い意味でいうと「丸い」こと。
マジックで使うアイテムにもありそうですね。
どんな人も従う、つまり現代風にいうと「よき部下に恵まれる」という感じかなと思ます。
紅蓮華(ぐれんげ)
→天上の宮殿に行ける
千手観音のもつ紅蓮華は、天上の宮殿に行けることを表しています。
戟矟(げきしょう)
→悪を滅ぼす武器
戟(げき)は、先端に枝のあるホコ。
三つ又の熊手のような形をしているものが一般的のようです。
矟(さく)は、馬上で用いるためのホコ。
馬上で用いるので短いのですが、それでも3.3メートル前後あります。
つまり、戟矟(げきしょう)とは、「先が三つ又になっている馬上用ホコ」といったところでしょうか。
仏像が持つときの意味合いとしては、他の武器類と同じで、内なる悪を滅ぼすための武器。
独鈷杵(とつこしょ)
→内面の諸悪を払い、自身を浄化する
独鈷杵(とつこしょ、どっこしょ、とこしょ)は、金剛杵(※)の一種で、太い棒の両端に槍先のような峰がついているもの。
(※)金剛杵は、「仏の知恵はダイヤモンドのように堅固である」ことを表すシンボル。内面の諸悪を打ち払う武器でもあります。
独鈷杵の場合は、「唯一無二の真実の仏界」「宇宙の真理」を表すとも言われます。
⑤ 左手(外側)が持っているもの
羂索(けんさく、けんじゃく)
→ひとり残さず救う仏の心を象徴
縄の両端に金属がついた羂索。
普通の網や縄では、届かなかったり、抜けてしまうことがあるけれど、仏教の羂索は、目標(悩める人々)から外れたりとり逃すことがないものです。
つまり、羂索は、「悩める人々全員救うぞ」という仏の慈悲の心を象徴するアイテムなんですね。
なお、別の解釈もあるようです。
●仏の心が通じない者を捕らえ、悟りに導くための道具
●よこしまな心を封じるための道具
●人々の心をつなぎ合わせるための道具
基本的には、悪いものをしばるというよりは、「全て救う」という意味合いのほうが強いようです。
軍持(ぐんじ)
→清めるための水が入っている容器、仏の世界に生まれ変われる
軍持(ぐんじ)は、きれいな水(清めるための水)の入った容器のこと。
別名で「水瓶(すいびょう)」「澡瓶(そうびょう)」と呼ばれることもあります。
仏の世界に生まれ変わることができることを表しています。
ちなみに、千手観音は、右手にも花びんのような瓶を持っていますが、そちらは宝瓶で、人々に配るための福徳が入っているものです(前述)。
宝瓶と軍持は、似たような形のビンですが、入っているものが違うのですね。
楊柳(ようりゅう)
→あらゆる病気をとりのぞく
本来の道具としての楊柳(ようりゅう)は、いわゆるつまようじ。
細い木の枝の先端をとがらせたもので、歯間や舌のそうじに使います。
多くの病気は口から入ってきますから、口内を清潔にすることで、病を取り除く、ということに結びついているのではないでしょうか。
払子(ほっす)(白払=ひゃくほつ とも)
→身につきまとう邪魔なものを払う道具
長い柄の先に、獣の毛や麻の繊維を束にして取り付けた払子(ほっす)。
毛が白いものを白払(ひゃくほつ)といいます。
元々はお坊さんが持つ道具で、虫やチリやゴミを払う実用品。
そこから派生して、身につきまとう邪魔なものを払う道具となったようです。
傍牌(ぼうはい)
→悪い獣を遠ざける
傍牌は、もともとお寺で日常的に使われる掲示板・告知版ですが、千手観音が持つ場合は「盾」のような役割を果たすようです。
千手観音の持つ傍牌は、木札とは思えないような複雑なデザインが特徴。
鬼の頭部や帝王の仮面をかたどった彫刻をあしらってあったり、鈴がついているものも。
これで悪いものを遠ざけるわけですね。
唐招提寺の千手観音の持つ傍牌は、食パンみたいな形をしています(※彫刻部分はよく見えなかったので、上のイラストは想像で描いています)。
右手に持っている手鏡がフライパンっぽくも見えるため、僧侶の方が「フライパンとフレンチトーストみたいでしょ」とおっしゃっていました。
そう聞くと、一気に親近感がわきますね。
髑髏宝杖(どくろほうじょう)
→鬼神を操ることができる杖
棒の先に髑髏(ドクロ=頭蓋骨)のついた髑髏宝杖(どくろほうじょう)。
千手観音の持ち物の中でも、かなりインパクトの強いアイテムですよね。
鬼神を操れることを表しています。
余談ですが、ドクロは、仏教においては、「人間の生身のはかなさを悟る」ための手段として用いられます。
白骨化した故人の姿を目の当たりにすると、「ああ、自分もいつか死ぬのだな」と実感したり、「それだったら今できることを精一杯やろう」「惰性で生きるのをやめよう」と現生の迷いや欲から覚めることができるというわけですね。
またドクロには、人間が犯すの罪・悪の重みをはかる、「裁きの象徴」という面もあります。
悪を追い払うだけでなく、人生のはかなさ、内省を促す面もありそうです。
宝弓(ほうきゅう)
→仏の知恵が速やかなことを示すシンボル、出世できる
右手に持っている矢(宝箭:ほうせん)とセットの弓。
宝箭と同様に、仏の知恵が鋭いこと・速やかなことを示すシンボルです。
救うのが困難な人々に対しても、弓矢のようにすばやく・鋭い知恵で導きます。
知恵がすばやくて鋭いので、出世できることの表れでもあります。
宝螺(ほら)
→楽器の一種、良い神を呼ぶ
ほら貝を吹くと「ボワー」という感じの音が鳴るのを、テレビ等でご覧になったことがある方も多いのでは。
楽器の一種であり、良い神を呼ぶことができます。
五色雲(ごしきうん)
→不老不死を象徴する雲
五色雲(ごしきうん)は、不老長寿の象徴。
千手観音のみが持つアイテムです。
五色雲をもつ手(五色雲手)に長寿をお願いすると叶うとされています。
仏教でいう「五色(ごしき)」は、白、黄、赤、黒、青。
『覚禅抄』というお経によれば
白(信):信心、まこと
黄(進):精進
赤(念):心に強くとどめること
黒(定):雑念をはらって心を清らかにすること
青(慧):悟り・知恵
の意味になぞらえられるそうです。
(※)密教ではまた別の解釈となります。
紫蓮華(しれんげ)
→どんな仏も目前に見ることができる
紫色の蓮華は、どんな仏さまも目の前に見ることができることを表現しています。
宝篋(ほうきょう)
→学問や知識のたくわえの象徴、宝を手に入れる
「篋」とは本来、竹で作った飯を盛る器(箱)のこと。
仏教では、箱や蔵は学問や知識のたくわえを意味します。
つまり宝篋とは「学問の宝庫」であり、宝篋を満たそうとする心がけは、如来の人格を養うことに相当するわけですね。
宝珠(ほうじゅ)
→衣・食・住に恵まれる
宝珠を持っているとどんないいことがあるかというと、
・熱があるときは熱を冷ます
・冷えやかぜ→身につけると全治
・闇夜では明るくなる
・暑いとき→涼しさをもたらす
・寒いとき→暖をもたらす
・毒性のもの→すべて消滅
・濁った水→清らかに
(『大品般若経 第一』を参考)
などなど、衣・食・住をはじめとして、いつも快適に過ごせるようにしてくれる魔法の珠。
そしてこの万能性は「仏の徳そのもの」とたとえられます。
珠のような徳を備えておれば、何も恐れることはない、ということですね。
なお、唐招提寺の千手観音が持っているのは、上のイラストに示したように宝珠が三つ乗っているものですが、一般的な宝珠といえば、こんなイメージでしょうか。
こちらは、如意輪観音や地蔵菩薩などが持っているのをよく見かけますね。
仏像においては比較的定番アイテムという感じかと思います。
宮殿(きゅうでん)
→仏と衆生が共に住む建物の象徴
宮殿は、娯楽浄土において、仏たちが暮らす場所。
美しく飾られた入母屋造りのことが多いようです。
仏に宮殿を献上するとやがてその宮殿に移り住める、とされていました。
つまり、仏像が手にする宮殿は、仏と衆生が共に暮らす建物の象徴。仏がここに導いてくれることを表現しています。
日輪(にちりん)
→太陽への信仰の象徴、光明を得る
日輪は、太陽をかたどった円形の持ち物。
太陽は、「お天道様」とも呼ばれるように、神様として信仰されていました。
太陽がなければ生命は育ちませんから、「生命そのものの神」というわけですね。
光が与えられるので視界が開けることを表しています。
なお、仏像によっては、日輪ではなく、「日精魔尼(にっしょうまに)」という、太陽をかたどった珠(たま)を持っているケースもあります。
日精摩尼の場合は、太陽を表す円のなかに、三本足のカラスが描かれています。
化仏(けぶつ)
→名もなき仏のシンボル(右手と同)
千手観音の持ち物のうち、唯一重複しているのが化仏(既出)。
両手にそれぞれ一体ずつ乗せています。
(詳細は右手の説明をごらんください)
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まとめ
たくさんのアイテムをお持ちの千手観音像。
各アイテムを調べていくうち、それらの本質を抽出すると、「人々が心身とも快適に暮らせることを願うもの」だと感じるようになりました。
昔は医療も衛生も発達しておらず、飢饉もありました。
災害、犯罪、野生動物との共生、様々な危険があったと思います。
そういった「不安・心配・苦しみが少しでも軽減しますように」という願いが、千手観音の持ちもの一つ一つに表れていると感じました。
それほどまでに、昔の生活環境ってシビアだったのでしょう。
現代日本では、食べ物に困ることは(一般的には)めったにないですよね。
エアコンも普及し、夏の暑さ冬の寒さも凌げます。
医療が発達して、市販薬も充実していますし、夜間診てくれる病院さえある。
そう考えると、昔の人が「こうだったらいいのにな」と思ってきたことの多くが、いま実現しているということですよね。
今ある環境は、(今を生きる人も含め)これまでに生きてきたたくさんの人々が、長い長い時間をかけて達成してきたということなんだな、と改めて実感しました。
以前は年配の人などに「昔はもっと不便だったのだから感謝しろ」と言われたら「それは事実なんだけど……昔の状態を体験してないんだから正直実感がわかないな」と心の中で思っていました。
でも、「昔は不便だった」ということを、千手観音の持ちものに込められた願いを通して理解しました。
ふつうに生きていると、「自分なんて何もなしえていない」と思いがちですが、大きな流れで見れば、未来の人に対して何かしらの役に立っているのかもしれないですね。
小さなことでも困りごとや不便なことを乗り越えていく、これをたくさんの人が積み重ねることが、のちの未来をよくするのかもな、と。
千手観音に限らず、ほかの仏像もまた、昔の人たちの願いを伝えてくれます。
私は、仏像を通して、過去の人々と対話しているのかもしれません。
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参考文献
〇持物の名称・漢字・読み方は『魅惑の仏像2 千手観音』という本(下記リンクの古い版の本と思われます)を基本にしています。
〇また、個々の持物に関する解説は、『仏像の持ちもの小事典』をメインに参考にしています。
〇この本も一部参考にしています。
仏像の見方ハンドブック-仏像の種類と役割、見分け方、時代別の特徴がわかる (池田書店のハンドブックシリーズ)
〇奈良国立博物館にて開催の特別陳列『はっけん!ほとけさまのかたち』会場内の説明パネルを参考に、一部追加しました。該当箇所は青文字にしています。(2022年9月5日更新)