善光寺 大本願(だいほんがん)と大勧進(だいかんじん)って?
善光寺に向かって歩いていると、手前にもお寺があり、「ここはすでに善光寺なのか?一体どういう場所なんだ?」と混乱したので、調べてみました。
大勧進:天台宗
大本願:浄土宗(尼寺)
いずれも、善光寺を管理運営するお寺
(※善光寺自体は宗派なし)
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大本願 境内の様子
大本願は、駒返り橋より南側にあるお寺。
「念ずれば花開く」癒し系お地蔵さま
お地蔵さんのボディには「念ずれば花ひらく」と彫ってあります。
お顔がかわいらしい。
ひとにぎり地蔵
こちらが大本願名物(?)のひとにぎり地蔵。
手のひらサイズのお守りも売っていました(ネットでも注文できるようです)。
不安なときなどに握るとすごく安心しそう。
月方那比古の『善光寺如来奉遷像』(本田善光さんがご本尊を難波から信州に連れて帰るときの姿)
大本願の宝物殿入口でお見かけしました(宝物殿には入らず)。
本田善光さんが、善光寺如来を背負って我が家に帰る姿の彫刻です。
月方那比古さんの作品。
高さ3 m 60 cmありますので、なかなかの迫力でした。
昔、信濃の国に本田善光(ホンダヨシミツ)という人がありました。
ある時、国司に伴って都に参った折、たまたまこの難波の堀江にさしかかると「善光や、善光や」と声が聞こえてきました。
何事かと思っているうちに、背中に飛び乗った者がありました。
「私は一光三尊の阿弥陀如来です。悩める人々を救うため日本へ渡り、あなたが来るのをじっと待っていました。あなたの故郷の信濃の国へ背負っていってほしい」と、おっしゃいました。
善光は歓喜して礼拝し、如来様を背負って信濃の我が家(麻積郷(現飯田市))に帰りました。
善光は初め如来様を西のひさしの臼の上に御安置し、やがてお堂を建てて如来様をお移しいたしました。
善光のお宅が寺になったことから善光寺とお呼びしております。
(彫刻の足元にあった説明書きより)
善光寺縁起のワンシーンが彫刻になっているわけですね。
この類の縁起を読むといつも思うのが、「一光三尊如来像は本当に存在するのかなぁ」ということ(疑いすぎか汗)。
というのも、善光寺の御本尊は絶対秘仏で、(現在生きている人では)誰も見たことがないのです。つまり、存在を確認した人がいない。
もし、本田善光さんが話をつくるのが上手い方だったとしたら、現物がなくても「一光三尊如来を背負ってきた」ということにして空っぽのお寺をつくり…それが今も続いている、という想像もできなくはない。
ですが、さすがにお寺を作る段階で「仏像見せてくれ」となるはずなので、当時は現物はあったのでしょうね。七年に一度模造が公開されわけですし。
もしも現在、ご本尊が消失しているとしたら、幾度かの火災で焼けてしまった、というのがもっとも可能性は高いのかな、と。
ただ、さらしで巻かれた厨子は五人がかりでも持てないくらい重い(=ご本尊の重み)とのことで、本尊の存在を示唆する話も(しかしそうだとしたら本田善光さんはどうやって背負って帰ってきたのか……ということはさらしが重いだけ? いやいや、理屈で考えたらダメですかね、仏様ですから)。
ともあれ、こういった縁起の類の話には想像をかき立てられます。
どことなくファンタジックで好きです。
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大勧進のようす
大勧進は駒返り橋よりも北側にある(善光寺本堂に近いほうの)お寺。
不動明王の剣とコンガラ童子&セイタカ童子
巨大な剣はインパクトありました。
セイタカ&コンガラもなかなか良い表情。
ほかにも様々なお堂が。
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おわりに
私が一番記憶に残ったのは月方那比古さんの彫刻と、不動明王の巨大な剣、でした。
大本願・大勧進とも宝物館がありますので、本格的に観たら結構時間がかかりそうでした。
善光寺ざっくり全体紹介
>>>◆善光寺 - かつて「一生に一度は善光寺詣り」と言われていたことも納得の大寺院