秋篠寺 本堂の仏像
本堂外観
元は講堂でしたが、鎌倉の修理以降、本堂と呼ばれています(国宝)。
こちらの入口からお邪魔します。
本堂内の仏像
配尊図
2022年時点の本堂内配尊図です。
全25体のお像がズラリと並んでいるので、なかなかの迫力。
各お像について感想を書いていきます。
広告- - - - - - - - - -
薬師如来
秋篠寺のご本尊は薬師如来坐像。
左手に薬壺を持ち、右手は施無畏印という、薬師如来の定番スタイルです。
(薬壺)
どっしりと身体も大きく、安心感のあるお像。
輪郭、顔のパーツもどっしり系。
薬師如来はその役割上、安心感を感じさせる作風のお像が多いように思います。
拝観リーフレットによると、お顔は貞観(平安時代前期)風だが、技術的にもっと後(鎌倉時代後期)の作と推定されているそうです。
(参考)薬師如来について詳しく>>>薬師如来とは? - 仏教界のお医者さん
日光・月光菩薩
薬師如来の脇侍は日光&月光菩薩。
造られたのは平安時代初期。
当初は極彩色だったようですが、現在は全体的に白っぽいお身体。
特徴的なのは、日輪と月輪を表す手鏡を持っていること。
持物を持たない像例のほうが多い気がするので、珍しいかなと思います。
(日光・月光菩薩について詳しく>>>日光・月光菩薩とは? - 太陽と月の光の象徴、薬師如来のサポート役 )
十二神将
すこし小ぶりですが、写実性のあるお像(鎌倉後期)。
6体ずつ、左右2グループに分かれて薬師如来をお護りしています。
いくつか欠損はありましたが、頭に干支をちょこんと載せている形式。
頭上の動物が、お像本体と自然になじんでいたのが個人的に注目したポイント。
たとえば、髪を縛るゴムのようにヘビを巻き付けていたり。
兜の飾りの一部かのようにネズミを乗せていたり。
よく見ると「あっ!」という感じで、発見がある感じがよかったです。
(十二神将について詳しく>>>十二神将とは? - 薬師如来に従う12の夜叉)
地蔵菩薩
平安時代中期のお像。
拝観リーフレットに
単純さの内にも優雅にして清楚の感深く典型的な藤原時代の作風を見せている。
『秋篠寺小誌・尊像略記』より引用
とあるのですが、まさにシンプルなんだけど、上品さが漂ってくるというか、気品のあるお像でした。
(地蔵菩薩について詳しく>>>地蔵菩薩とは? - 如来のいない時代を任された救済者 )
不動明王
鎌倉時代末期と推定されるお像。
羂索と剣を持って立つ、スタンダードなお姿。
(不動明王について詳しく>>>不動明王とは? - 怒りの姿に変身した大日如来)
帝釈天
頭部は乾漆(天平時代)、お身体は寄木造り(鎌倉時代)で後補されたお像。
梵天とコンビを組んで並ぶことが多いのですが、秋篠寺の梵天像は奈良国立博物館のほうにご出張中。
(ちなみに梵天さんはこちらの方です)
伎芸天
帝釈天と同じく、頭部は天平時代、お身体は鎌倉時代の後補です。
帝釈天・梵天・求脱菩薩(ぐたつぼさつ:こちらも奈良国立博物館に出陳中)と同じ時期に造られたと考えられています。
”仏像”としては他に例がなく(遺っておらず)、国内唯一のお像。
やさしいまなざしを投げかけるような、穏やかな表情が秀逸です。
天平時代に造られたというのが驚き。
(伎芸天について詳しく>>>伎芸天とは? - 諸芸の上達にご利益)
愛染明王
お堂の右側、厨子に入った状態で安置されているのは愛染明王像。
鎌倉時代後期と推定。
赤いお身体で、獅子冠を被り、弓矢などをもっています。
忿怒相というよりは、「はっ!」と口を開けているような、ちょっと驚いているような表情に見えました。
(愛染明王について詳しく>>>愛染明王とは? - 愛欲を悟りにかえる仏 )
五大力菩薩
五大力菩薩は、密教でいうところの五大明王に相当します。
(『(旧約)仁王経』というお経に説かれていた五大力菩薩が、新訳になって五大明王になった)
忿怒相をした五体のお像が一斉にこちらに目を向けてくるので、なかなか迫力がありました。
平安時代末期のお像と推定されています。
広告- - - - - - - - - -
おわりに
「秋篠寺といえば伎芸天」のイメージで、こんなにたくさんのお像が本堂におられるとは想像していませんでした。
全体的に鎌倉期のお像が多いのですが、なかでも十二神将が写実性があって私は好きでした。
近くまで寄って拝観できますし、想像以上に見ごたえがありました。
秋篠寺 境内ガイド>>>◆秋篠寺【境内案内】- 日本で唯一の伎芸天像に会える、苔の美しいお寺