興福寺 東金堂(とうこんどう)
興福寺中金堂の東側にある東金堂。
現在のお堂は1415年に再建された建物ですが、奈良時代の雰囲気を今に伝えています。
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仏像がすごい
聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病気が治ることを願って建てられたお堂(726)なので、薬師如来を中心とする仏像群がいらっしゃいます。
全21体中18体が国宝という豪華さです(薬師・日光・月光以外が国宝)。
配尊図
薬師如来のすぐ両脇には、日光・月光菩薩がくるのが一般的ですが、興福寺のお堂では、間に文殊菩薩像と維摩居士像のペアが入ります。
薬師如来に近いお像の順に紹介していきます。
【重文】薬師如来(やくしにょらい)坐像
東金堂のご本尊(15世紀初期、室町時代、重文)。
大きくて迫力あるお姿ですが、こちらを包み込むようなあたたかさも感じるお像です。
【国宝】維摩居士(ゆいまこじ)と文殊菩薩(もんじゅぼさつ)
個人的に注目するのは維摩居士(ゆいまこじ)像。
(※居士とは、出家していない男性の仏教徒を指します)
維摩さんという方は、『維摩経』というお経に登場する在家者(出家していない仏教徒)です。
在家者でありながら、仏教を極めており、弁舌に長けるお方。
私の勝手なイメージだと「ズバッと矛盾をついてくる賢者」といったところでしょうか。
維摩さんが病を患ったとき、お釈迦さんが弟子たちにお見舞いに行くよう言うのですが、誰も行きたがらない(皆、維摩さんにやり込められた経験があるので)。
そこで、知恵の象徴・文殊菩薩さんが行くことになります。
維摩さんのお宅で二人が問答するシーンが有名です。
興福寺東金堂には、この役者二名がそろっているのです(しかも国宝)。
若者らしくつるりとしたお顔の文殊さんと、壮年を思わせる維摩さん。
維摩さんは、眉間にしわを寄せ、少々厳しい表情をされています。
いざ維摩さんの前に立ってみると、なんだか怒られそうな気がする。
釈迦の弟子たちがお見舞いに行きたがらなかったのもなんとなくわかる気がしました(笑)。
ということはつまり、『維摩経』をうまく再現しているということですから、この維摩さんの像を作った仏師の方の腕もすごいなあ、と思うのです。
ちなみに、興福寺の維摩居士像をつくったのは「定慶(じょうけい)」といわれています。
(鎌倉時代、定慶という仏師は複数人いたのだとか。
維摩居士像をつくった定慶さんは、興福寺専属?の仏師だったようです。)
【重文】日光(にっこう)・月光(がっこう)菩薩
文殊・維摩コンビの横は、日光・月光菩薩(詳しく>>>日光・月光菩薩とは? - 太陽と月の光の象徴、薬師如来のサポート役 )。
重要文化財なので比較的新しいお像かと思いきや、7世紀末・白鳳時代のお像!(別のお寺のために造られ、東金堂にやってきたのは12世紀末)。
【国宝】十二神将(じゅうにしんしょう)立像
十二神将も薬師如来をサポートする役目(詳しく>>>十二神将とは? - 薬師如来に従う12の夜叉)。
鎌倉時代のお像で、なんと12人(夜叉)すべてが揃っている貴重な例です。
それぞれが頭上に干支の動物を載せています。
お堂の奥のほうにおられるお像はちょっと見づらいのですが、ぜひご自身の干支のお像を探してみてください。
【国宝】四天王立像
お堂の四隅を守護しているのは四天王(四天王とは? - 東西南北に立ち仏教を守る四人組 )。
9世紀のお像で、どっしりしたスタイルの四天王たち。
アクロバティックな姿勢で踏みつけられている邪鬼もいい。
一般的には、広目天は筆と巻物を持つことが多いのですが、東金堂のお像は戟をかまえる姿(よく見ると左手に何か持っているような感じもするが……ちょっと不明。今度お堂に行ったら確認します)。
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興福寺のほかのみどころは?
・2018年に再建されたばかり!運慶の息子たちによる四天王像がいらっしゃる中金堂
shishi-report-2.hatenablog.com
・その名の通り、国宝だらけの国宝館
(記事準備中)
開扉日は限られているけれど
・チーム運慶の仏像が素晴らしい北円堂
shishi-report-2.hatenablog.com
・チーム康慶(運慶のお父さん)の仏像が感動モノの南円堂
shishi-report-2.hatenablog.com
・興福寺 全体をざっくり紹介ページ
shishi-report-2.hatenablog.com
参考文献
維摩経について詳しく知りたい方はこちらが読みやすいです。
100分de名著 『維摩経』 2017年6月 | NHK出版
もっと本格的に学びたい場合は本もあります。