東大寺 戒壇院千手堂 (※現在は非公開)
戒壇堂の西側にある千手堂。
通常は非公開のお堂ですが、戒壇堂が耐震工事中のため、その代わりとして特別公開されました(令和2年7月~約3年間→令和5年9月25日まで)
※2024年現在は非公開
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千手堂へ向かう
大仏殿の正面左手、東大寺境内の西側へ。
この階段を上がると、まず戒壇堂があります。
工事中の戒壇堂を通り過ぎて、さらに西へ進むと、千手堂への門がありました。
門をくぐると、左手にお堂が見えます。
千手堂は、幾度も火災に遭っており、現在のお堂は2002年に再建されたもの。
たしかに、屋根の瓦が新しい感じがしますね。
千手堂手前の受付にて拝観料を支払い、靴を脱いでお堂に上がります。
千手堂の仏像
記憶を頼りに配尊図を描いてみました。
みどころは
・千手観音菩薩立像
・鑑真和上坐像
・愛染明王坐像
です。
各像の詳しい感想を書いていきます。
千手観音菩薩立像
お堂に入ると、正面の千手観音の華麗さにまず驚きました。
上の写真(※)で見ると、厨子の内扉の仏画がカラフルなので、そちらにも目がいきますが、実物を拝見すると、やはりご本尊の千手観音像が圧倒的魅力を放っておられました。
(※ お堂内は撮影禁止のため、看板を撮影したものです)
あまりにもきらびやかでお美しいので、江戸時代くらいのお像かな、とパンフレットを確認したら、なんと鎌倉時代!
皇室(後嵯峨天皇)からいただいたお像だそうです(なので、一般的な室内に置けるサイズ感なのでは、とのこと)。
800年近く経過しているとは思えないほどのきれいな状態、体表の金泥(きんでい)や、衣類の截金(きりかね)も残っており、とても驚きました。
千手観音を守っている四天王もかなり着色が残っています。
幾度もの火災に見舞われていますが、先人たちが「命に代えてでも守る」とその都度運び出して守ってきたそうです。
残念ながら厨子のほうは、1998年の火災で損傷してしまったので、現在の彩色画は復元(とはいえ、精密な写真が残っていたので、忠実に修復できたようです)。
鑑真和上坐像
鑑真(がんじん)は日本に授戒作法(仏の弟子になるための戒律を授ける作法)を伝えた唐のお坊さん。
12年間で5回も渡航に失敗、途中で失明しつつも、6度目の航海でやっと日本に到着。
鑑真といえば唐招提寺のイメージですが、東大寺におられたこともあるんですね(むしろ東大寺戒壇院を開いたという超重要人物)。
というわけで、鑑真のお像も安置されています。
唐招提寺のお像を模刻した木彫です(江戸時代 仏師:戒壇院三達)。
唐招提寺のお像より少し若々しい印象を感じましたが、お顔の写実性がすばらしい。
目を閉じておられますが、その分真実が見えていそうな目元。
口元も今にも動き出しそうな気さえしました。
愛染明王(あいぜんみょうおう)坐像
お堂の(ご本尊に向かって)左側には、愛染明王坐像。
詳細は不明ですが、鎌倉~南北朝時代に造られたお像のようです。
愛染明王といえば赤いお身体が特徴ですが、着色は落ちてしまっており、全体的に灰色な印象でした。
でも、これはこれで落ち着きがあって良いなと感じました。
肉付きがよく、表情がはつらつとしていて、眼の色が左右で異なる(確か緑と青だったか)のもきれいでした。
頭上に乗せている獅子(獅子冠)もかわいかったです。
地蔵菩薩立像
パンフレット等には詳しい記載がないのですが、千手観音と愛染明王像の間に地蔵菩薩立像も安置されていました。
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おわりに
通常は非公開のお堂なので、あまり期待せずに行ったのですが、千手観音がとても美しくて、うっとりしました。
拝観にはそんなに時間を要しないだろうと思っていたのですが、千手観音をずっと見ていたくて、なかなかお堂を離れられなかったです。
スタッフの方もいらして、詳しく教えてくださいましたので、いろいろ勉強になりました。
東大寺のほかの記事
・境内ガイド(拝観レポート)
shishi-report-2.hatenablog.com