東大寺 勧進所(秘仏特別公開の様子)
10月5日の転害会(てがいえ)に伴い、秘仏も特別公開されます。
勧進所エリアに安置されている、僧形八幡・公慶上人像・五劫思惟阿弥陀像を拝観できます。
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東大寺 勧進所
大仏殿の西側に、土塀に囲まれたエリアがあり、ここには公慶堂、阿弥陀堂、八幡堂などがあります。
江戸時代、大仏殿復興のときに、公慶上人がここに一院を建て、復興のための寺務所としたそうです。
秘仏特別公開のようす
勧進所の手前に受付が出ていました。
受付を済ませ、門をくぐり、鐘楼を通過。
勧進所エリアは広くはないので、すぐに公慶堂が見えます。
公慶堂:公慶上人像
お堂のお名前の通り、公慶上人のお像がまつられています。
(公慶上人って?)
平安時代末期、平重衡に兵火によって焼き尽くされてしまった東大寺。
そのとき復興に当たったのが重源上人(>>>東大寺 俊乗堂 - 国宝の重源上人像)。
しかし、戦国時代にはまたも兵火で焼失してしまいます。
その半世紀後、大仏さまが雨露に濡れているのを見た公慶上人(なんと当時13歳)、大仏殿を再興させることをひそかに決意します。
37歳のとき、幕府に復興を掛け合うも、「かまわないけど、援助はしないよ(意訳)」との返答。
そこで、公慶上人は街に出て、寄付をつのります。
そこから約20年かけて、大仏さまの修理、大仏殿の再建を進めました。
道半ばの58歳で亡くなった後、弟子の公盛と仏師性慶によって、御影がつくられます。
それが現在公慶堂に安置されているお像です。
真っ赤に充血した目
公慶上人像を拝見して、まず気づくのが、左目が真っ赤に充血していること。
経年劣化で塗料などが滲んできてしまったのかなと一瞬思ったのですが、違いました。
お堂内の説明書きによると(詳細はあいまいなのですが)、ほぼ不眠不休、寝る時すら座って休んでいたという公慶さんを忠実に表現しているのだそうです。
仏像の作成に弟子が関わっていることもあり、とてもリアルな出来栄えとなったようです。
公慶上人のお顔を見ていると、強い意志を感じる表情ですが、口元にはほんのわずかな笑みを浮かべているようにも見え、「能力的にもお人柄的にも尊敬される方だったんだろうな」と思いました。
八幡殿(はちまんでん):僧形八幡神(そうぎょうはちまんしん)坐像
続いて八幡殿へ。
こちらには快慶がつくった僧形八幡神像が安置されています。
「僧形八幡」は、お坊さんの姿をした八幡様(神様)のこと(詳しく>>>僧形八幡とは?)。
元は東大寺の鎮守八幡宮(現在の手向山神社)におられましたが、明治の神仏分離でお寺のほうに移動されました。
一見、お坊さんの姿ではあるのですが、やはり神様ならではの、神々しさを感じました。
顔にシワが刻まれているので、壮年の年頃を表現しているのだと思いますが、それにしては表情があまりにもキリっとして肌は艶やか、そのあたりが人間を超越した感じを醸しているのかなと思いました(やっぱり快慶も天才だ)。
彩色もかなりきれいに残っています。
写真だけ見ていても美しくてほうとなりますね。
いくらか人がいらしたのと、少し離れての拝観なので、「博物館などでまじまじと見てみたい」気持ちがむくむく湧いてくるお像でした。
阿弥陀堂:五劫思惟阿弥陀(ごこうしゆいあみだ)坐像
阿弥陀堂に安置されているのは、五劫思惟阿弥陀坐像。
アフロヘアとも形容されるような、覆いかぶさるような大きな頭髪をしている阿弥陀如来です。
(※こちらは十輪院の五劫思惟阿弥陀像の写真を見つつ描いてみたイラストですので、東大寺のお像と詳細は異なります)
ものすごく長い期間、髪も剃らずに考え事をしていたので、このような頭髪になったといわれています。
巨大で厚みのあるヘルメットをかぶっているような感じで、かわいらしさを感じるお像です。
考え事をしているところを表現しているので、表情も極めて穏やか。
「静」のイメージだからでしょうか、ものすごく落ち着いた気持ちになりました。
何かイライラするようなことがあっても、このお像を見たらスッと消えそうな。
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おわりに
いつでも会える仏像もありがたい(何度もお見かけするうちにだんだん知人っぽくなってくるから不思議)ですが、普段お目にかかれない秘仏も参拝できると嬉しいものです。
お像を通じて何かしら学ぶところがあるなあ、と感じます。
秘仏公開に合わせて出かけたりするキッカケにもなるので、出不精にとってはそれもありがたかったり。
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