般若寺 本堂
現在の本堂は江戸時代の再建。
配尊図
堂内の配尊図を簡単に書いてみました(記憶違い等ありましたらすみません)。
全仏像に対して感想を述べようかとも思ったのですが、長くなりすぎそうなので、印象深かったものを中心に記します。
御本尊 八字文殊菩薩騎獅像
後醍醐天皇の御願成就のために作られたそうです。
お名前からもわかる通り、獅子に乗っています。
八字文殊菩薩の「八字」は髻(もとどり:現代風にいえばお団子ヘア)の数が八つ、ということ。
髻の数によって、意味合いがいろいろあるのですが、髻八つの場合は「息災」を司る、の意。
すごく大きいわけではないのに、全体から醸し出される迫力を感じました。
自ら発光しているように見えるというか、ご本尊の周りだけ別空間のよう。
ひとことで言ってしまえば「神々しい」なのですけれども。
照明の当て方や、表面の金が少し残っているという事情もあるでしょうが、お姿を拝見するとつい「おおお」と声が出てしまう感じ。
文殊菩薩さんはもちろんのこと、獅子もすごく丁寧に彫っているな、という印象を受けました。
(台座としての獅子って、精密に彫り上げられているものもあれば、素朴な作りのものもあるんですよね。獅子にこそ仏師の個性が現れがちなのではないかと勝手に思ったりしています)
この丁寧な仕事ぶり、系統でいったら慶派だな、と思って調べてみると……大仏師康俊・康成(※)の作とのこと。
(※)康俊さんは運慶さんのお孫さん、康成さんは運慶さんのひ孫にあたるお方のようです。
やっぱり!
でも、運慶さんの作風とはまたちょっと違うような気もしますね(文殊菩薩さんの目つきとか……あくまで素人の感覚ですが)。
どこがどう違うかと問われると、そこまではうまく説明できないのですが……。
まあ、おじいさんと孫・ひ孫の関係ですから、踏襲している部分と変化している部分の両方があるのでしょうね。
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(豆知識 過去には巨大な文殊菩薩がまつられていたことも)
かつては般若寺の金堂に丈六(丈六は一丈六尺のこと、約4.85 m)の巨大文殊菩薩さんがまつられていたそうです。
残念ながら、その後の火事で失われてしまったようですが、獅子の足の台座が一部残っており、本堂出入口付近に置かれていました。
きちんとした写真を撮り忘れてしまったのですが、かなり大きかったです。
(下の写真の左端にちょこっと映っています。
後ろの女性と比べると、大きさが伝わるのではないかと。
くどいようですが、これ、かた足の台座ですからね。)
なお、巨大文殊菩薩さんをサポートする四侍者(先導役に善財童子、獅子の手綱を握る優填王、仏陀波利、最勝老人)もいたようです。
最勝老人(たぶん)の手と、優填王(たぶん)の剣が焼け残っていて、そちらは宝蔵院に展示されていました。
手も剣も大きくて驚いたので、お身体はいかほどの大きさだろう、と想像せずにはおれませんでした。
ちなみに上の写真中央のかわいい獅子は、「なりきり文殊パネル」。
後ろに椅子がついていて、座ると文殊菩薩さんの気分になれます。
パネルごと移動させて、境内の好きな場所で写真を撮ってOK(※ただしお堂内は撮影禁止)とのこと。
来た人に楽しんでもらおうという心遣いが感じられて、温かい気持ちになりました。
唐櫃(からひつ)
こちらは仏像ではなくて、ありていに言えば「箱」なのですが。
後醍醐天皇の息子さんの、護良親王(もりながしんのう)という方のエピソード。
「元弘の変」(倒幕計画が漏れた)のとき、幕府軍に攻められて笠置が落城し、般若寺に潜伏されていたそうです。
ある日、幕府軍の追手が般若寺にまで探索にやってきたのですが、そのときに親王は堂内にあった般若心境を納める用の「唐櫃」に隠れ、なんとか見つからずに済んだのだとか。
その現物の箱、「唐櫃」が本堂に置かれていました。
「箱に身をひそめてやり過ごすだなんて、なんと古典的な!」と思ったのですが、1300年代の話ですから古典そのもの、ですね。
このあたりのエピソードが小説や漫画にもなっているらしいです(タイトル『キミノ名ヲ』)。
(これですかね?)
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(蛇足ですが、大ヒット映画『君の名は。』と一字違いですね(表記は異なりますが)。
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◆般若寺【記事一覧】- 境内のあちこちに心遣いを感じるコスモス寺
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