阿修羅(あしゅら)とは?
釈迦如来の教えを広める手助けをするグループ(八部衆)に所属する、阿修羅。
元は、血気さかんな戦闘神で、いつも帝釈天と争っていたといいます。
帝釈天との闘いに敗れたあと、釈迦の説法で改心し仏教の守護神となります。
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いつも帝釈天と戦っていた理由
争いの原因はいくつかの説があるようです。
① 巨大ヘビで水を止めるいたずらをしたから
阿修羅は手下の超巨大ヘビをヒマラヤの中腹に置き、山水をせき止め、農民たちを水不足で苦しめた→帝釈天との闘い→阿修羅敗北(『ヴェーダ聖典』より)
➁ 知人(神)の娘に言い寄ったから
乾奪婆(けんだつば、八部衆の一神)の娘に阿修羅が惚れこみ言い寄る→乾奪婆の娘が恐れおののく→乾奪婆の娘を救うべく、帝釈天が戦いを挑む→阿修羅敗北
③ 自分の娘を帝釈天に略奪されたから
阿修羅の娘(舎脂)に帝釈天が惚れ、結婚前に略奪してしまった→阿修羅父さん激怒→帝釈天と戦闘開始
※ ①と➁は、天の仏像のすべて (エイムック 2696)を参考、③は日本の仏様 解剖図鑑を参考にしています。
①と➁は、たしかに阿修羅が悪いですけど、③は……阿修羅の気持ちもわかるような気がしますよね……。のちに阿修羅の娘は帝釈天を愛するようになり、正式に妻になったので、「終わりよければすべてよし」なのかもしれませんが……。
修羅道に住む
阿修羅は、帝釈天との闘いに敗れたあと、「修羅道」のドンになります。
修羅道は、「修羅場」という単語からも想像がつくように、「怒りや憎しみや戦いが絶えない」世界です。
(一般的な)阿修羅像の特徴
阿修羅像の一般的な特徴としては、
・忿怒相
・逆立った髪
・筋骨隆々
・裸足
これらの特徴から考えると、明王や金剛力士などの系統のようです(戦闘の神ですからね)。
こちらは仁和寺の二十八部衆のうちの阿修羅像。がっちりしていて忿怒相です。
しかし、最も有名な興福寺の阿修羅像は少年風の華奢な姿。
「阿修羅像」と聞くと興福寺像を思い浮かべる方が多いと思うので、以降、興福寺像の特徴を挙げていきます。
興福寺の阿修羅像の特徴
三つのお顔
興福寺の阿修羅像のお顔は、
向かって右:考え込む表情
中央:落ち着いているがやや悲しげ
向かって左:上の歯で下唇を噛む
となっています。
これは、阿修羅が釈迦の説法を聞いたとき、考えこみ(向かって右)→仏教に仕えると決意し(向かって左)→落ち着く(中央)、という心境の変化を表しているのではないか、と考えられているようです。
たしかに、中央のお顔は、「いままでの私は何をしていたのだろうか」というような、はっと我に返って過去を後悔するような表情にも見える気がします。
六本の手
お顔が3面なので、腕は6本あります。
中央の2本は合掌。
それ以外は左右対称になるように掲げています。
服装
上半身には帯状の布(条帛:じょうはく)を斜めにかけ、腰にはスカートのような布(裙:くん)を巻いています。
腰巻には、「宝相華紋様」(想像上の花という意味)という模様がついています。
また、瓔珞(ようらく)というネックレスや、腕輪もつけています。
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阿修羅像の実例(興福寺以外)
日本では、単独で祀られることはほとんどなく、「八部衆」か「二十八部衆」か「三十三応現身」の一つとなります。
京都 三十三間堂 (二十八部衆の一神)
公式サイトに阿修羅像の写真がない(?)ようでしたので、現代仏師の方による摸刻品(アマゾンリンクです)を載せます。
興福寺のお像と全然違う雰囲気ですね。
忿怒相で逆立った髪、「明王」に近いですよね。
神奈川 長谷寺 観音ミュージアム(三十三応現身のひとつ)
三十三応現身というのは、観音様が変身した33の姿のこと。
変身後の一つの姿が阿修羅の姿(なので、阿修羅身像と呼ぶ)。
観音ミュージアムについて - 鎌倉 長谷寺 観音ミュージアム
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おわりに
八部衆としての阿修羅像は興福寺国宝館か法隆寺五重塔のみですが、二十八部衆の一神としてはいくつか作例があるようです。
二十八部衆に参拝される際は、阿修羅を探してみましょう。
興福寺のお像と比較すると、新たな発見がありそうです。
私の大好きな興福寺の拝観レポ↓
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参考文献
仏像の見方ハンドブック-仏像の種類と役割、見分け方、時代別の特徴がわかる (池田書店のハンドブックシリーズ)
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