仏像、ときどきワンダー観光

おもに仏像のこと。不思議スポットやふつうの観光の話もたまにします

【再訪2024】興福寺北円堂 - 訪れる度に印象が変化するから仏像はおもしろい

興福寺 北円堂 特別開扉(3度目くらい)

北円堂 特別開扉

普段は非公開の興福寺・北円堂。

毎年春と秋に特別公開されるのですが、法苑林菩薩さんが修理に入るらしく、2024年秋の公開はなし、とのことで行ってきました。

各お像の解説などは以前に詳しく書いている(→【奈良】興福寺 北円堂(春・秋に開扉) - 「無著・世親菩薩」は何度観ても感動 )ので、今回は簡単に感想をつづっていきます。

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北円堂内へ

受付にて拝観料(300円)を払い、お堂へ。

お堂内へ

興福寺自体は混雑していたものの、北円堂はそこまでではなく、すぐに入れました。

世親菩薩

お堂の正面は混雑していたので、右寄りから入って、ふと目線を上げた時にたまたま世親さんのお像とバチバチに目が合いまして(立ち位置的に)。

世親 (講談社学術文庫)


目がほんとうにキラキラしているというか、うるんでいるようにも見えて、「久々に大切な人に再開した」みたいな気持ちになりました。

実は私、どちらかというと、これまで無著さんびいきだったのですが、今回は世親さんに胸を打たれてしまいました。
(なんか……推しのコンサートで推し以外のメンバーを見てそっちにもときめくみたいな感覚に近いんかな)

参考:【仏像の知識】無著・世親菩薩とは? - 北インドのお坊さん兄弟/興福寺のお像は運慶工房の最高傑作

 

ユーモラス四天王

四天王

 

もとは大安寺にあったお像。
木肌の上に、「木くず+漆」を練り混ぜたものを盛って成形しているので造形がわりと華やか(凹凸がある)。

リーフレットにも「ユーモラスな表現」とあるのですが、特に持国天のギョロ目具合がいい。
気のいいあんちゃんというか、「おうおう、相談乗るぜ」と言ってくれそうな雰囲気に見えました。

あと今回は、多聞天も気になりました。
多聞天は多宝塔を持つので、手を肩くらいまで上げて、手のひらを上に向けている(ウェイターやウェイトレスさんみたいなイメージ)のですが、ちょうどその先が出口で、ぬけるような青空が見えるのを示しているかのようでした。

最近ちょっと悩みがあり、モヤモヤしていたところだったので、「まあまあ、顔を上げてごらんなさい、空がきれいだよ」と言われているみたいでした(我ながら想像力がたくましいけれど)。

こんなふうに、仏像って、見るときの心象風景によって印象が変わるので、本当に興味深いなと思います。

法苑林&大妙相菩薩

あまり聞きなれないお名前ですが、弥勒如来さんの脇侍をつとめる法苑林&大妙相菩薩(お三方合わせて「弥勒三尊」)。

北円堂内ではこの2体は比較的新しく(室町時代)、国宝ではないのですが、台座は運慶工房の作らしい。

法苑林&大妙相菩薩は、あぐらの姿勢から片足を下ろした座り方で、その宙に浮いたおみ足を見ていて、「浮いてるなあ、かろやかだなあ」と思いました。

私はどうしても物事を重く考えがちで、よく「もっと気軽に生きなよ」みたいに言われるのですが、そのことを思い出しました。

「はっ、かろやかに、生きるんだった」みたいな。

その他 境内のようす

2024年5月現在、五重塔の大修理のため、重機入っていました。

重機と五重塔

古いものと新しいものの組み合わせ、これはこれで貴重な光景かも。

工事の都合で、お隣の東金堂も閉堂中。
東金堂の維摩居士像ファンとしては、再開が待ち遠しいものです。

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おわりに

仏像はある意味「鏡」のようなもので、そのときどきの自分が映るなあ、と実感しました。

同じ人間ですら、心境によって違って見えるのだから、他の人の視点ではさらに違って見えるのだろう、と。
この世は自分を通してしか見えないのだなあ、不思議なものだなあと思います。
絶対的なものがあるようでいて、ない、みたいな。

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・興福寺全体案内

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