大阪城公園ってどんなところ?
・大阪城天守閣を中心とした史跡公園
・石垣が想像以上にスゴイ
・たてものに興味ある人におすすめ(レンガ建築もあり)
・ランニングコースとしても有名
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散策レポート
公園マップ
本記事で紹介するのは大手門~青屋門(上のマップで水色のライン)。
大阪城公園に初めて行く場合はこのコースがおすすめかと思われますので、ここをメインに紹介します。
森ノ宮駅から公園に入る場合は>>>大阪城公園散策② - 森ノ宮エリア~青屋門
大手門
お城の正面を大手(または追手)というので、そこにある門ということで大手門(※お堀側からの写真を撮り忘れまして、上記は公園側からの大手門の写真です)。
現在の大手門は徳川幕府時代に創建されたもの(1628)。
黒塗総鉄板張(くろぬりそうてついたばり)の扉は重厚感がありますね。
大手口桝形の巨石(大手見附石)
大手門をくぐった先は、桝形(ますがた)という四角い空間になっていて、敵の進入を食い止める役割があります。
その桝形に使われているのがとんでもない巨石です。
巨石部分を囲んでみます。
説明看板によると、正面の石(大手見附石)の表面積(露出している部分)は、約47㎡あるらしい。
47㎡って……1LDKの物件くらいの広さですよね!?
生活空間全部入っちゃうくらいの大きさの石ということですね。
小豆島で採石されたものといわれています(江戸時代)。運ぶのも大変だったでしょうね(水路かな?)。
多聞櫓(たもんやぐら)
石垣の上に築かれた長屋状の建築物のことを「多聞」というらしいです。
石垣の上にある櫓だから「多聞櫓」なんですね。
門のようにも見えますが、内部には廊下のほかに部屋がいくつもあって、兵士が待機できたのだとか。
千貫櫓(せんかんやぐら)
西側と南側がお堀に面していて、大手門に向かう敵をここから攻撃できたらしいです。
ということで、お堀側から見てみると。
たしかに、「あーばっちり見られているわ」という感じがしますね。
空堀
多聞櫓をくぐって道なりに進んでいると、空堀が現れました。
本丸の南西側だけ水がなく、空堀になっています。
これがまたなかなかの迫力。
写真では伝わりにくいですが、かなり広大な空間です。
緑が生い茂っているのがいいですよね。
もはや石垣とかお堀というよりは、巨大構造物の感じがしてきます。
南仕切門跡・太鼓櫓跡
二の丸の南と西が仕切られていたそうで、その門の跡。
門の西側には太鼓を収める櫓があったそうです。
おそらくこの階段の上だったのではないかと。
太鼓は時刻を知らせたり、緊急時に叩いていたようです。
(修道館)
こちらは昭和にできた武道の練習場。
史跡とは関係なく、大阪市の施設のようです。
豊国神社(ほうこくじんじゃ)
豊国神社には、豊臣秀吉・秀頼・秀長(秀吉の弟)がまつられています。
豊臣家にちなんで、出世開運のご利益があるみたいです。
豊臣秀吉の像が立っていてびっくりしました。
社殿や狛犬の写真など、詳しくは>>>豊国神社(大阪城公園内)- 秀吉にあやかる出世開運のご利益
さて、いよいよ本丸のほうに向かいます。
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桜門
豊国神社のあたりから桜門方面の眺め。
この先が本丸となります。
空堀をわたって……近づいてきました。
現在の門は明治20年に徳川時代の様式で復元されたもの。
桜門をくぐるあたりから空堀を見ると……やっぱり巨大。
高所恐怖症の人は少し怖いかもしれないですね。
桜門をくぐって、裏側から見てみると、円形や四角形の穴が開いていることに気づく。
ここから攻撃をしたんでしょうね。
近寄ってみました。
おおお、豊国神社のあたりが非常によく見えます。
(※ちなみに、昔は今の場所に豊国神社はありませんでした。昭和36年に今の場所に移動)
銀明水井戸の井筒(ぎんめいすいいどのいづつ)
本来は、旧陸軍第四師団指令部庁舎(現・ミライザ)の裏手あたりにあった井戸のものらしいです。
旧陸軍第四師団司令部の庁舎が新築されるとき(昭和6年)にここに移動。
(江戸時代は本丸の役人の飲料水として使用されていたそうです)
蛸石
桜門をくぐって正面にあるのが、蛸石とよばれる巨石。
こちらが城内で一番大きくて、その表面積は約60㎡もあるそう。
巨石の左端にタコのような模様。
以前蛸石をテレビで見たときは、「たしかにタコっぽいけど、ちょっとこじつけ感もあるかなー」と思ったんですが、実物を見ると、「あ、これはタコだわ」と妙に納得したのでした。
ミライザ(旧陸軍第四師団司令部庁舎)
お城の雰囲気に浸っていると、いきなり洋風のレンガ建築が登場して「うお」となるのも大阪城公園のポイント。
昭和6年、陸軍の施設として建設され、その後大阪市立博物館となり、現在は「ミライザ」という商業施設になっています。
レンガ建築として有名で、たてもの好きとしては見逃せません>>>ミライザ(旧第四師団司令部)- 公園内で異彩を放つレンガ建築物
金蔵(きんぞう)
徳川幕府の金庫。
金庫の割にはこじんまりしている印象でした(まあ、あまりにも豪華だと逆に目立つか)。
大阪城天守閣
現在の天守閣は昭和6年に再建(平成9年大改修)の建物。
豊臣秀吉が築いた大阪城は、大阪夏の陣で焼失。
その後、徳川幕府によって再建されますが、豊臣時代のお城とは全く異なった姿になったようです(お堀や石垣なども、現存するものは徳川時代の形を元にしている)。
しかし、再建された天守閣も1655年の落雷で焼失。
ということで、何度も立て直しているのですね。
平成になってから大改修しているので、エレベーターもついている!
公園内の様々な場所から見た天守閣の姿や、戦争のときにズレた石垣などは>>>大阪城天守閣 - 戦争時の爆撃被害跡など
山里口出枡形
敵の進入を食い止める役割の桝形(ますがた)。
本丸から山里口のほうに出ているので、「出桝形」といいます。
少し離れて見ると、山里側に出ているのがよくわかります。
階段になっている部分があったので、枡形の端にのぼってお堀を見下ろしてみました。
昇ってみて気づいたのですが、手すりもないので、わりと危なかったです(汗)。
石垣特有のゴツゴツさで足元が安定しないのと、うっかり荷物+日傘+カメラで手がふさがった状態のまま階段をのぼってしまったので、ヒヤッとしました。
刻印石広場
現在残っている石垣は、徳川幕府が作り替えたもので、西日本の69藩が参加を命じられたそうです。
石集めや石積みの過程で、自分の藩の印などを刻み込んだのですね。
秀頼・淀殿ら自刃の地の碑
徳川軍に追い詰められた秀頼・淀殿は、山里内のやぐらで自害したといわれているそうです。
戦もあったし、昔は「いつ死ぬかわからない」感が現在よりも強いですよね。生きることがとても大変だっただろうなと思います。
極楽橋
二の丸と山里丸をつなぐ橋。
現在の橋は昭和40年に再興されたものですが、秀吉の築いた当時もこのあたりに橋があったようです。
なぜ極楽という名がついているかというと、大阪城ができる前にあった石山本願寺と関連しているのではないかとのこと。
橋から御座船のりばも見えました。
青屋門
二の丸の北口にあたる青屋門。
ここを出ると大阪城ホールなどがあるエリアに出ます。
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アクセス
大阪城公園にはいくつもの駅からアクセスできますが、大手門への最寄り駅は谷町四丁目駅。
駅(1-B出口か2番出口)から大阪府警前を通過し、NHK・大阪歴史博物館を過ぎるとお堀が見えてきます。
大手門までは徒歩10分弱。天守閣までは徒歩20分弱です。
周辺の施設情報
(周辺というか公園内ですが)大阪城ホール
公式サイト>>>大阪城ホール
ホテルニューオータニ大阪
大阪城ホールの向かいにあります。
読売テレビ放送
なかなか個性的な形の建物ですね。
コロナ流行前は1階が見学可能だったようですが、現在は入れません。
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