鑑真(がんじん)
鑑真は中国の有名なお坊さん。
授戒(僧の戒律を授ける)制度の普及のため、日本に招待されるも、5回も渡航に失敗。
途中で失明しながらも6回目にしてやっと到着(753年)、すでに66歳でした。
亡くなるまでの10年の間、日本での戒律制度を整備していきました。
東大寺に戒壇堂を築き、唐招提寺を創建。
彫刻や薬草にも詳しかったそうです。
詳しい特徴を見ていきましょう。
広告- - - - - - - - - -
鑑真像の特徴
目を閉じて座る姿
来日したとき、鑑真はすでに66歳。
また、すでに失明していたため、目を閉じた表情のおじいさんの姿です。
鑑真像の実例
古いお像は唐招提寺のみ、といってよいかと思われます。
奈良 唐招提寺 御影堂
鑑真が亡くなった後、弟子の忍基がつくったお像。
日本最古の肖像彫刻とされています。
通常非公開ですが、6月5日~7日の三日だけ開扉されます。
それ以外の日は開山堂にお身代わり像がいらっしゃいますので、そちらにご参拝ください。
お像ではないですが、境内奥にお墓もありますので、そちらも。
(観光施設)鹿児島 鑑真記念館
日本にやってきた鑑真が辿り着いたのが鹿児島の秋目津。
そこに記念館が建てられています。
公共交通機関利用だと行くのがわりと大変っぽいのですが、お車の方はドライブがてらぜひ。
広告- - - - - - - - - -
(参考)留学僧との絆
5回も渡航失敗していたら、ふつうは諦めてしまいますが、そこで諦めずに日本に来てくれた鑑真さん。
仏教で世の中をよくしたいという強い志があるとはいえ、一体何が彼をそこまで駆り立てたのだろうと思っていましたが、日本からやってきた留学僧(栄叡・普照など)との絆も関わっていそうです。
留学僧の栄叡は、鑑真の弟子に密告されて投獄されるのですが、病死を装って脱獄するなど、日本に高僧を招くという目標のために壮絶な人生を送りました。
日本には戻れず、最後は中国で亡くなってしまいます。
栄叡・普照がモデルになった小説が井上靖氏の『天平の甍』。読んでみようと思います。
おわりに
鑑真がもたらしてくれた功績の影には、たくさんの人の想いがあることに気づきました。
今ある暮らしって、昔の人々が積み上げてきてくれたものの上に成り立っているんだな、と改めて実感しました。
(お寺をめぐったり、仏像をみていると、本当に実感して感動してしまいます……この記事でも書いていますが→私が仏像にハマる10の理由)
他の仏像をさがす
☆一覧で表示>>>仏像の種類一覧
shishi-report-2.hatenablog.com