最澄(伝教大師)
最澄は、天台宗を開いた平安時代のお坊さん(亡くなった後におくられた名が「伝教大師」)。
近江(滋賀県)の出身で、12歳で出家、留学僧として唐にも渡っています。
奈良時代の仏教(貴族向け)に疑問を持ち、さまざまな経典を研究、庶民のための仏教を築きました。
空海とは親しかったものの、のちに絶交。
(最澄が空海のところに何度も密教の経典を借りに行って、やがて空海に「仏の教えは書物に宿るものではない」と愛想をつかされてしまったという説もあります)
法相宗の徳一とも激しい論争を起こしていますので、研究者気質だったのかもしれません。
詳しい特徴を見ていきましょう。
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伝教大師(最澄)像の特徴
頭巾をかぶって、座った姿で表現されることが多いです。
伝教大師(最澄)像の実例
滋賀 観音寺
坐像としては日本最古(1224年)とされる伝教大師のお像。
頭巾をかぶって座る姿で、像高は65cm。
鎌倉時代、長尾寺(伊吹山四大寺)のお坊さんが彫ったとされます(お像内の銘文より)。
(仏画)兵庫 一条寺
お像ではなく肖像画ですが、教科書にも載っているので見覚えある方も多いかも。
(※現在は、博物館に寄託されています)
(参考)滋賀 高野神社(たかのじんじゃ)境内の大師堂
伝教大師と伝わるお像ですが、学術的には良源というお坊さんの肖像と考えられています。
(長浜市の広報より)https://www.city.nagahama.lg.jp/cmsfiles/contents/0000000/456/n270901-11.pdf
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おわりに
最澄の有名なお像は、ほぼ滋賀の観音寺のみという感じのようでした。
空海のほうがお像や肖像が多い印象ですね。
歴史の授業では「最澄&空海」としてセットで習ったような気がするので、少し意外な気もしました(それだけ密教のほうが世に広まったということかもしれません)。
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参考文献
仏像の見方ハンドブック-仏像の種類と役割、見分け方、時代別の特徴がわかる (池田書店のハンドブックシリーズ)