仏像、ときどきワンダー観光

おもに仏像のこと。不思議スポットやふつうの観光の話もたまにします

【初詣の記録】私はあの瞬間、モチの神様だったのかもしれない

モチの神様説、浮上

なんとなく、「初詣は春日大社」だと思ってきた。

しかしここ数年、私の初詣はもっぱら興福寺である。

というのも、奈良の三条通りに降り立った時点で「どうやら春日大社からの帰り or これから向かうらしいぞ」と思われる人がたくさんいるので、疲労感にやられてしまう。

人混みに放り込まれるとすべてのやる気を喪失するのは私の悪い癖だ。

必然的に、春日大社よりも駅に近い側の「興福寺にしよ」ということになる。

春日大社と興福寺は、神社とお寺の違いはあれど、元をたどれば藤原氏ゆかりの寺社。切っても切れない関係にある。
お正月には興福寺のお坊さんたちが春日大社にお参りに行く行事すらあるそうだ。

ということは、初詣として興福寺に行こうが春日大社に行こうが、同じご利益が得られるはずである(と勝手に解釈する)。

さて、三条通りに沿って興福寺に向かう。
途中、外国人観光客に異常に人気の、「モチショップ」こと中谷堂の前にさしかかった。

その日は歩行者天国になっていたこともあり、中谷堂の前は普段以上に混雑していた。
群衆は、モチを待つ人、つきたてのモチをほおばる人の二大勢力で構成されているが、ほおばる人のほうが圧倒的に多い。
モチは人々の足を止めるのである。

まあ仕方あるまい、ほとんどがモチを食べ慣れていない外国の方々だ。
慌てて食べてのどに詰まらせても困るから、安全第一でお願いしたい。

ふいに、彼らのほおばるモチから剥がれ落ちたきな粉が風で運ばれてくる。
みんな幸せそうに食べているから、きっと幸運の粉だろうと思うことにしている。
その一方、きな粉の密度が高まりすぎて、いわゆる粉塵爆発(=きな粉爆発)が起らないか、ひそかに心配したりもする私である。

きな粉濃度が高まりすぎないことを祈りつつ、モチをほおばる人々をかき分けて、私はずんずん進んでいた。

すると突然、背後から声がした。

モチモチモチモチモチモチモチィ!


発音からして外国の方のようだ。
大声というほどでもないが、雑音ほど小さくもなく、確実に私の後頭部に向かって放たれていた。
これから注文されるであろうモチが楽しみすぎて、うっかり言語化してしまったのかもしれない。
「モチ」がひたすら7回連呼されているだけだが、後半に向けて語気が強まり、妙なまとまり感すらある。

モチモチモチモチモチモチモチィ!

間髪入れずに2度目のモチ連呼。
よほどモチを欲しているらしい。
しかし、彼の前を歩く私の後頭部に注文されても困る。
お店に言ってもらいたい。

モチモチモチモチモチモチモチィっっ!!


3度目ー!!!
私はモチ屋でもないし、モチに対してこれといった執着もない人間だが、ここまでモチへの熱意を表明されると、なんだかほほえましくなってしまった。

4回目があるのかちょっと期待してしまったが、3回で終了したようだった。

振り返ってみたけれど、誰がモチ連呼していたのかはわからなかった。
おいしいモチが食べられるといいな、と思った。

振り返って中谷堂のあたりを見る

 

そうして私は7個×3回=21個ぶんの「モチ」をまとったまま、南円堂横の階段から興福寺境内に入った。

境内へ

 

階段を上がり切ると、南円堂の向かいの小さなお堂・不動堂がある。

不動堂

 

不動明王がおまつりされているお堂で、普段は格子が閉まっているが、お正月だからであろうか、開いていた。
熱心にお参りしている方がいたので、やや遠くから手を合わせることにしたが、ふと真言の書かれた板が目に留まる。

「ノウマクサンマンダ……」的なアレである。
真言は一般的には3回唱えることが多い。

いまだに覚えきれない「ノウマクサンマンダ……」をなんとなく3回唱えながら思った。

3回……。
もしや。
私はさっき、「モチの真言」を3回唱えられたのではないか……。

ということは私、実はあの瞬間、モチの神様か何かだったのではないか。

頭の中で「モチモチモチモチモチモチモチィ!」がハッキリと再現された。
そのまま取り出せそうなほど、鮮明に。

そうか、そういうことだったのか。

そういうことにしてみたら、妙に頭の中がすっきりした。
境内に敷かれている砂利の、踏みごたえが頼もしい。

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中金堂へ

さて、私が一瞬のモチの神様だったかどうかはさておき。

例年は東金堂に行くのですが、現在五重塔修復に伴い、閉堂中でした。

東金堂 閉堂中


ということで、久々に中金堂へ。

中金堂へ

 

お正月期間ということで、吉祥天のお厨子が開いていて、お姿を拝見できました。

「吉祥天」とひとことに言っても、
・着飾ったお姉さん風
・偉い人の奥さん風
・肝っ玉母さん風
の3タイプがあると私は勝手に分類しているのですが、興福寺のお像は、ふくよかな肝っ玉母さん風のお像でした。

なお、中金堂内の配尊図などはこちらで詳しく書いています。

shishi-report-2.hatenablog.com

 

お堂内でおみくじが引けたので、「今年の私に必要なことがあれば教えてください」と引いてみました。

ざっくり書くと「捉え方次第で善も悪に、不利にも有利にもなるよ」という感じのおことば。

なるほど、これはまた個人的に身につまされる。

私自身を振り返ってみても、また、周囲の「頑張っているのになぜかうまくいっていない人」を観察してわかったのが、「うまくいかない人は、”ないもの”にとにかく注目している」ということでした。

減点主義というか……98点とっても、失ったほうの2点に強く執着している生き方。

逆に、幸せそうに生きている人って、「え、別に普通じゃない?そこまで喜ぶことかな?」ってことではしゃいだりしているんですよ。

そうして機嫌よくしていると周囲から見ても感じがいいので、人が寄ってくるし、親切にされることも多いんでしょうね、多分。

その現象に気づいてはいても、これまでの慣習で、つい「ないものねだり」を発動してしまう私(だいぶマシにはなってきたけれど)。

この記事を書き始める直前も、「ないもの」に執着してウダウダしていました。仕事が忙しくて時間が無くてブログが書けないと文句ブーブーで(汗)

なので、「いやーまさに、今の私に必要な内容だったな」と改めて思いましたとさ。

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あとがき

人生は捉え方次第、とおみくじに書いてあったので、「あの瞬間、私はモチの神であった」と思って、2024年を生きることにします。

あと、この記事を書いていたら、「モチ」のゲシュタルト崩壊に襲われました。

ちなみに個人的に推したいのは薄いモチ。スープに入れたりできて便利です。
(意図せずモチのPR大使みたいになってしまった……)

 

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・興福寺は仏像がすごいお寺である

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